須佐神社 大神輿の意匠

 
 
 

須佐神社大神輿の意匠について 近藤昭夫

 須佐神社の大神輿は永正十四年(一五一七)の創造で、寛文八年 (一六六八)台車に乗せ、その後宝暦十三年(一七六三)、寛政七年(一七九五)に改修を受けている。
 八角形の平面 神輿の計上は八角形で、内部の八角の心柱を持ち、腕木の貫までの間に三段の貫が交互に周囲の丸柱と固めている。腕木のある神輿は珍しく、長柄の先端などから綱をかけて固め、その綱に鈴などの飾りを着けて荘厳を兼ねたものであったかも知れない。
現在使用の長柄には途中にほぞ穴が見受けられる。心柱のある神輿は桝組の多いものに現在も作成されている。
 八角形の神輿は、広島市の東照宮、鳥取県大山町の大神山神社、西条市の伊曾乃神社、高知県いの町の椙本神社、京都市の藤森神社、大津市の日吉大社など各所に見られる。
 後白河法皇作成指示の「年中行事絵巻」模本には祇園御霊会の三体神輿渡御が描かれているが、四角形の鳳輦(男神と八王子)と葱華輦(女神)であり、十六世紀中頃より十七世紀中頃までよく作られた「洛中洛外屏風」の祇園祭神輿渡御の場面には八角形の神輿が描かれている。
 

基盤の剣巴文

基盤四方には剣巴文が彫刻されている。基盤は台車に載せた時に台車上部に嵌め込みとなり、剣の下部分か隠れている。基盤正面には剣方喰文と右三つ巴紋及び剣文があり、両側面と背部には右二つ巴文と剣文がある。側面などの巴文は、頭が小さくて連続しており古様の形態を残している。
 同時代の使用例として山口の文亀三年(一五〇三)建立の今八幡宮楼門の背面に、縁桁の木口を隠すための飾り板に見られる。また正面の巴文は頭が少し大きく分離している。方喰は吉祥文として広く使用され部材の損耗の割には少し時代が下がるものである。
 剣右三つ巴文の使用例として、京都府加茂町の浄瑠璃寺、河内長野市の金剛寺、奈良市の秋篠寺の各本堂須賀檀や、「一遍上人絵伝」の三島社神池に架かる反り橋と平橋の飾り板などに見られる。いずれも巴の頭が連続している。また奈良市の春日大社本殿では、ささら桁と縁の下回り側面に剣巴文があり、頭は小さいが分離している。本殿は文久三年の造持(一九六三)になる。
 神輿の基盤に剣巴文のあるものとして、建武三年(一三三六)製作の長田神社神輿がある。また「日吉山王祭礼図」には、剣巴文のある神輿が描かれている。
 

瑞垣と蕨手

 瑞垣は基壇四方に明神鳥居を持って囲む。鳥居は水割が細く古様である。瑞垣は塔婆形の上方を省略し、鳥居と角柱に算木を繋いで板塀の囲いとなっている。
 蕨手は関西型の取付になり、井桁に組んだ台輪の上に組んである。神輿によく見られる渦状のものでなく、降棟と比べて水割が太く形状がいびつに見える。神幸の折りに綱で補強するため、寛文の改修時に変更したものであろうか。


露盤と宝珠

 屋蓋の頂部に、八角の露盤を置き宝珠を乗せる。宝珠は安定のためか株の彫が少なく、下から見上げるため高くなっている。
 露盤には各面に門が施されている。正面より左回りに織田瓜、右三つ巴、十六菊、三つ玉、五三の桐、芸州鷹の羽、松平三つ葵、亀甲に花角となっている。
 松平三つ葵は、浅野家三代光晟が寛永四年に松平の称号を下賜され、寛文九年に就封しているので、台車に乗せた寛文八年より翌年の九年にかけて改修が行われたことも考えられる。
 

彩色と祭礼寺の装飾

 神輿の彩色は、ベンガラ朱と墨の黒色二色でされている。元禄九年(一六九六)に弊殿が再建されているが、退色度合を見るとこの時に補色された可能性がある。神輿の扉と彩色は後世のものである。
 現在、祭礼寺に神輿の軸部に朱の帳を巡らすが、屋蓋軒先や蕨手に取付金具などの痕跡がなく、当初から環路、幡、華鬘、帳、比礼など荘厳の装飾は無かったものと思われる。
 神輿は創建当初の形を守りながら改修を受けたもので、中世地方の素朴な神輿の形態をとどめていると考えられる。

参考資料
甲奴町史
甲奴町文化財保護委員会
朝日新聞社
至文堂
県教育委員会
梧桐書院
小童村誌
文化財調査報告
日本の国宝
門・祭礼図
須佐神社の神輿
家紋大全